卒業生のメッセージ

message KOJI MORIYUKI

2014年度卒業
訪問看護ステーションふく
守行孝二

自分がやりたい看護をやるために、
新しい時代をつくる側になる。

今はどんなお仕事をされていますか?

1年前に訪問看護ステーションを立ち上げたのですが、そこの管理者と連携しているクリニックの在宅部門の管理をしています。

卒業後、どのような経緯で現在に至りますか?

新卒で地元の大きな病院に就職し、約10年勤めていました。そこの病院で知り合った先生に誘われて今に至ります。卒業時には既に『経験を積んだ後、自分で訪問看護をやる』と決めていて、病院でも口に出していました。

何故、訪問看護だったのですか?

僕はおばあちゃん子だったので、入学前から祖母を家で看取りたいという考えがしっかりとありましたし、大学の実習で何故か"死"に携わる機会が多く、より『看取り』への意識が強まって行きました。 いかに苦痛がなく、自分らしく、人生の最期を迎えられるか、そこを大事にしたい。そういった自分の思いをカタチにしようと思い、自分で新しい訪問看護ステーションを立ち上げることを決意しました。そのために、就職先は地元の大きな病院を選びました。まず、ターミナルケアやがん看護を学ぶために緩和ケア病棟で働き、全身管理やフィジカルアセスメントを学ぶために集中治療に異動させてもらって、心不全を中心に循環器疾患の患者も多いため循環器科で学ばせてもらいました。本当はもう少し学びたいことがあったのですが、訪問看護ステーション立ち上げのお話を頂いて、こんな機会は二度とないかもしれないと思い、踏み出しました。

実際にどのような訪問看護をされているのですか?

『ドクターに近い訪問看護』を掲げて運営しています。看護師は医師の指示がないと動けないので、訪問看護を行う上で医師とすぐに連絡が取り合える、指示が受けられる環境が在宅で療養するために大切なこと。これができることによって、ご家族の方が『すぐ来てくれて、すぐ対応してくれる人がいる。それだったら家に帰してあげたい』という気持ちになってもらえることがあるのです。そこに僕らの存在意義を感じています。

看取り・・・・人が亡くなる瞬間に立ち会うことを「看取る」と表現しますが、その手前の段階から看病し、寄り添うという意味が込められています。
フィジカルアセスメント・・・・問診・視診・触診・打診・聴診などの身体検査を用いて患者さんの全身の情報を収集・評価し、一人ひとりの患者さんに適した対応を判断することです。

これからの目標や夢はありますか?

やりたいことは山積みです(笑)。大学の同期や先輩たちとも未だにつながっていて、それぞれが思いを持って、各地で各分野で活躍しているので、そういった仲間から刺激を受け、現場に出て、さまざまな思いが膨らむ一方です。直近では、新たな訪問看護ステーションを一つ立ち上げます。今度は今のとはまた違った、既存にはあまりないアプローチのものを準備中です。あと、大切な家族を安心して看取るために医師と看護師が24時間体制でいて、かつ、家族全員が一緒に住めるような施設を作りたいです。いつか自分もそこで家族に看取ってもらいたい。

最後に、学生に向けたメッセージをお願いします

看護師は、資格を取ってからがスタートです。この業界は、まだまだ時代に取り残されている部分があることも否めません。仕事の厳しさも年々、増していくでしょう。これから看護師として頑張っていくのに必要不可欠なのは、『仲間』です。信頼できて思いや体験を共有できる仲間がいれば、大変なときでも励まし合えたり、前向きに進んで行くことがきっとできます。僕はその仲間をこの大学で見付けることができました。是非皆さんも、自分の思いを叶えるために、この大学ならではの濃い仲間と出会って、濃い時間を過ごし、自分の思いと友情を育んでください!

message MAYU AKATSUKA

2015年度卒業 兵庫県立こども病院赤塚真優

患者の「がんばる力」を引き出したい。

看護師だからこそできること、それは病気と立ち向かう患者さんに寄り添い、必要な時に背中を押せることだと思います。また、小児看護においては、患者さんであるこども一人ひとりの成長過程に合わせて、「がんばる力」を引き出していく関わり方ができることが、私にとってのやりがいにつながっています。

私が働いている兵庫県立こども病院の血液腫瘍内科には、長期にわたって治療が必要なこどもがたくさん入院しています。こどもの中には、年齢的に意思決定が難しい子や治療がつらいと感じている子がたくさんいます。そんな時に、患者さんの「がんばる力」を引き出せるようなケアをしたいと心がけています。

以前に担当した患者さんで、頭に腫瘍があり、何回も放射線治療が必要な女の子がいました。治療のためには鎮静が必要で、食事ができない時間が発生します。当初、それが嫌で女の子は治療を受けるのを拒んでいました。その時に、女の子のお母さまと相談し「どうすればがんばって治療にのぞめるか」を考えました。実施したのはがんばり表をつくって、1回治療を受けるたびにシールを貼っていくことでした。お母さまと協力し、励まし合いながらゴールを目指すことで女の子は1日1回、合計17回の放射線治療をやり遂げることができました。

患者さんが元気になるために、看護師ができることはたくさんあります。そこに、マニュアルはありません。大変な仕事ですが、こどもたちと一緒に病気と闘える看護師だからこそ、患者さんが元気になった時に、人一倍やりがいを感じることができるのだと思います。

message MINAMI NOBUHARA

2012年度卒業 済生会兵庫県病院延原美南

患者の本音に気づけるか。
知識や技術よりも大切なことです。

日々、患者さんと向き合う中で私が大切にしていることは、「コミュニケーションを絶やさない」ことです。なぜなら、患者さんが抱えている真の課題を汲み取ることが看護師には必要だから。そんな看護師としての姿勢も、関西看護医療大学で教わりました。

病院実習では、「できるだけ患者さんのところへ行きましょう」と指導を受けました。なぜかというと、診察や検査だけでは、患者さんの体調の変化や小さな異常に気づけないことがあるんです。例えば、きちんと眠れていると思っていた患者さんから話を聞いてみると、痛みや倦怠感で実は寝不足だったりすることもありました。だから私は、今でもナースステーションにいるより、できるだけベッドサイドで話を聞くようにしています。それが自然にできるのは実習で学んだスタイルが体に染み付いているからでしょう。

とはいっても、私は、もともと人と喋るのが得意な人間ではありません。今、それができているのは、淡路島での生活が大きく影響しています。当時は大学近くの居酒屋でバイトをしていたのですが、常連のお客さんが、気さくに話しかけてくれるんです。時には、淡路島のご馳走を振舞ってもらう機会もありました。淡路島の人は、開放的でおおらか。そんな環境が、私を変えてくれたんだと思います。

勉強はもちろん大切ですが、あまり心配しなくてもいいと思います。それよりも、患者さんの本音を汲み取ろうとする姿勢が大切です。それができれば、自然と患者さんに必要なことが見えてくる。そうすれば、きっと「あなたにしかできない仕事」ができるようになるはずです。

message SHIZUKA HASHIMOTO

2013年度卒業 順心淡路病院橋本静香

この仕事には、子育てを応援してくれる人がたくさんいる。

私は長崎から入学して、在学中に淡路島が地元の人と結婚しました。第一子を妊娠中に国家試験を受け、無事合格。淡路島の病院に勤務し、育休と復帰を繰り返しながら、今は4人のこどもを育てつつ、看護師を続けています。

大学時代の思い出と言えば、何と言っても下宿仲間との日々。大学には遠方からの下宿生も多く、当時は沖縄、三重、大分などさまざまなところから集まった仲間がいました。お互いの家を行き来したり、休日には大学の図書館で朝から晩まで勉強したり。当時の仲間とは今でも連絡を取り合っていますし、淡路島に遊びに来てくれることもあります。

4年間で学んだことは座学で学んだ基礎も大事ですが、やはり実習での体験が一番役に立っています。もちろん、今の現場は実習のときとは比べものにならないほど厳しいものです。新人の頃は何度も「もう辞めたい」と思いました。でも、一つずつできることを増やしていくことで「これからも頑張ろう!」とやる気になれたんです。

今の職場は24時間体制の託児所が付いているので、こども4人を預けながらでも安心して夜勤ができますし、こどもが熱を出して急に帰らなくてはいけないときもフォローしてくださる先輩方に囲まれていて、恵まれた環境で働けています。

現場に出て何年も経ちますが、今でも毎日学びの連続です。いまでもよく、初めてのケースに出会っては勉強させていただいています。想像はしていましたが、やはり看護師は厳しい現場での仕事となります。それでもやはり、患者さまやそのご家族から嬉しいお言葉をいただいたときにはやりがいを感じます。子育てとの両立は大変ですが、忙しい日々であっても、私は看護師が好きなのだなと再確認しています。